不妊治療と一口に言っても、不妊の原因や年齢、状況などによって、その選択肢や向き合い方はさまざまです。それゆえ、たとえ当事者同士であっても不妊治療の経験について話すのは、なかなか難しいことも。2022年4月から不妊治療が保険適用となったことも踏まえ、近年SNSやメディアでの発信も少しずつ増えてきてはいるものの、今の自分にとってどれが必要な情報なのかがわかりにくく、悩みや不安を抱える人も多い状況です。
今回は、かつて自身の不妊治療中に、「妊娠するかどうかわからない状況下で想いや考えを発信することが少しでも有意義な情報になれば」とメディアでインタビューを受けた経験を持ち、2023年に出産した、女性の生理周期にあわせたブランドを立ち上げた経験を持つクリエイティブディレクター・PRの柿沼あき子さんと、インタビュー時点で今まさに不妊治療中であり(※)、自身の気づきや課題感などを発信されているエッセイスト・ライターの塩谷舞さんのお二人による対談を実施。不妊治療の過程で、数ある情報の中から自分に合ったものを選び取る難しさや、自分に合ったクリニックに出合うことの大切さに気づいたという二人。はらメディカルクリニックのスタッフを交えながら、具体的にどんな悩みに直面し、どう道を選択していったのか語っていただいた内容をもとに、はらメディカルクリニックからのコメントとともに記事をお届けします。一人ひとり不妊治療の経験は異なりますが、それらを共有し、ともに考えることを通して、少しでも新しい気づきを得られるきっかけになればと願います。
※取材は2024年3月14日に実施しました。
※お二人は、はらメディカルクリニックとは別のクリニックの患者さんです。
1985年神奈川県・鎌倉市生まれ。美術大学卒業後、WEB制作会社にて広報・PR、WEBプロモーション会社にてディレクターの経験を経て、2014年にファッションカンパニーである(株)ベイクルーズに入社。デジタルマーケティング部にて同社が運営するブランドの販促企画を担当後、2017年に女性の生理周期に寄り添うライフスタイルブランド「EMILY WEEK」を社内提案し事業化。立ち上げから2022年5月までの約5年間コンセプターとしてブランド全体のプロデュースとディレクションを行う。現在はフリーランスとして活動。不妊治療を経て2023年末に第一子を出産。
1988年大阪・千里生まれ。京都市立芸術大学卒業。大学時代にアートマガジンSHAKE ART!を創刊。会社員を経て、2015年より独立。2018年に渡米し、ニューヨークでの生活を経て2021年に帰国。文芸誌をはじめ各誌に寄稿、note定期購読マガジン『視点』にてエッセイを更新中。著書に『ここじゃない世界に行きたかった』『小さな声の向こうへ』(文藝春秋)
――まずは、お二人が治療を始めることになったきっかけについて教えてください。
柿沼: 最初は不妊だとはまったく思っていなかったんです。27歳で結婚して、子どもは欲しいなと思いつつ、仕事も楽しかったし、まだ若いから大丈夫だろうとそんなに焦ってもいませんでした。それが30代に入って、気づけば私より後に結婚した友人たちが出産していて、「あれ?」と思い始めたんです。ただ、ちょうどその頃、自分のブランドを立ち上げたばかりで、安定するまでにはおそらく2、3年は頑張らなきゃという状況。とりあえず検査だけはしておいて、タイミングが来たらすぐ治療に入れるようにしておこうと決めました。
塩谷:
私も柿沼さんと同じで何か決定的なことがあったわけではなく、「もしかしてそうかも……?」という思いを抱きながらも、妊活を意識し始めたのが30代半ばになってからでした。というのも20代の頃は物価の高い海外で暮らしていたために医療費や養育費の面でなかなか現実的なこととして考えられず、30代になって帰国し、今のパートナーと再婚してからは子どもを持ちたいという話をするようになったんですよね。ただそこで「もし欲しいという気持ちがあるのなら、あまり時間的な猶予がないかもしれない」と自分からパートナーに伝えたんです。
というのも、私はもともとチョコレート嚢胞(本来は子宮の内側にしか存在しないはずの子宮内膜組織が卵巣にも発生する子宮内膜症という病気の一つ)があって、妊娠しにくい体質。それに加えて年齢を重ねれば妊娠率はより低くなっていくことを思うと、砂時計がどんどん落ちていくみたいな感覚がありました。夫と話し合った上で、まずはかかりつけである一般的なレディースクリニックに相談してみることにしました。
――すぐに不妊治療を開始されたのですか?
塩谷:
最初に妊活をしたいとかかりつけ医に伝えたのは、2022年の冬でした。そのレディースクリニックでは、まず服薬で子宮内膜症の治療をしてから自然な妊娠を目指すことになりました。ただ私はその薬の副作用が強く出るタイプだったようで、髪も肌もボロボロ、冬だというのに体がほてって寝られないという更年期障害のような症状に苦しんでしまって。3ヶ月間その治療を耐え抜き、晴れて妊活をスタートしたものの、なかなか妊娠しない。ネットで調べてみると、そのレディースクリニックでは実施していない不妊検査がいろいろとあることを知り、自発的に別のクリニックに行って様々な不妊検査を受けました。
その結果、卵子と精子が出会う場所である卵管が左右ともに詰まっている、両側卵管閉塞であることが判明したんです。卵管閉塞の場合、自然妊娠はまず難しく、残された道は体外受精のみと伝えられ、ショックでした。それまで副作用に苦しみながら服薬を続けたり、自然妊娠に期待しながら妊活をしたりしていたけれど、最初に検査をしていればもっとはやく適切な医療に辿り着けていたのに……と後悔したんです。それから高度不妊治療をやっているクリニックを探すことになりました。
塩谷さんがタイミング法を3周期実施した後で、卵管造影検査によって両側卵管閉塞が判明し、適切な不妊治療方法は体外受精だったと後からわかったことはショックだったろうと思います。ただ、その際に感じられた“子宮内膜症の治療が無駄であったのか”という思いについては、当院は無駄ではなかったと考えます。3ヶ月間でも子宮内膜症治療を行ったことで、チョコレート嚢胞は改善し、体外受精を安定して進めることができたと思うからです。
ただし、治療の順序としては、先に卵管造影検査を実施し、その結果を踏まえて治療方針を決定し、その後に子宮内膜症の治療を検討するのが理想的でした。自然妊娠を目指す上での絶対的な障害となるのは、男性は重度な乏精子症や無精子症、女性側は両側卵管閉塞です。これらは早期に検査を受けることが重要です。
すべての婦人科が卵管造影の設備を備えているわけではなく、また、ホルモン検査が不十分な場合もしばしば見受けられます。検査は治療方針を決定する上で重要な役割を果たしますので、初期段階から不妊治療専門のクリニックで網羅的に行うことをお勧めします。
詳細な不妊治療の種類と方法、不妊症の原因や保険適用については、はらメディカルクリニックのウェブサイトでもご紹介していますので、よろしければご覧ください。
柿沼: 私の場合はブライダルチェック、不妊検査ともに私にも夫にも問題はなかったのですが、不妊の原因がわからない状態でした。明確な原因がわかれば塩谷さんのように的を絞って治療ができるのですが、原因がわからないので、一つひとつ進めていくしかない。ただ、そのときはそう長くはかからないだろうと気楽に考えていたんですよね。
――それぞれ原因が異なるお二人ですが、どのように治療を進めていったのでしょうか?
塩谷:
まず、人気の高度不妊治療クリニックは半年先まで予約が取れないことに驚きました。ただ、年齢のことを考えると、できるだけ早く治療を進めたかった。それで比較的予約が取りやすく、家からも通いやすいクリニックに決めました。そこでは、夫婦で淡々と検査を受け、サインをし、採卵の準備を進めました。
採卵までは、自己注射で卵巣を刺激し卵子を育て、体調管理も気をつけながら過ごします。私は卵子が多い体質のようで、排卵誘発の注射に反応する卵子が多く、最終的にOHSS(卵巣過剰刺激症候群)になってしまうほどでしたが、無事採卵日を迎え、14個の採卵に成功しました。
柿沼: 私は、体外受精は肉体的負担も大きいし、とにかく怖いイメージがあったのですが、抵抗はなかったですか?
塩谷: このクリニックからは保険適用の場合は局所麻酔だと聞かされていたので、どれくらい痛いのだろうと不安がありました。それ以外の選択肢はないのかと一応確認はしたのですが、ないとのことだったので、そういうものなんだと思ってしまって……。ただ、SNSでは「チクッとする程度」「重い生理痛くらい」という声もあったので大丈夫だろうと思っていたんですけど、私は卵巣が腫れていたことで痛みを感じやすかったようで、採卵針で卵胞液を吸い上げられるたびに悲鳴をあげてしまって。その後はぐったりして2時間動けませんでした。
柿沼: それはつらかったですね……。私の場合は、順番通りにタイミング法、人工授精、体外受精とステップを踏んで治療を進めていったので、体外受精は最後の段階でした。採卵の方法も塩谷さんとは違って、無麻酔ですが細い針を使いましたし、排卵誘発は低刺激~中刺激方法なので卵子の数も少なく、痛みはほとんどありませんでした。
――塩谷さんは、採卵後はどのような経過を辿られたのでしょう?
塩谷:
採卵した卵子14個のうち、結局一つも受精しなかったんです。採卵後、「ふりかけ法(c-IVF)」という卵子に精子をかける方法を試みたものの、全滅。後で調べてみると、他のクリニックではふりかけ法(c-IVF)で受精しない卵子には顕微授精(ICSI)を行う、「レスキューICSI」に切り替えることもあるようなのですが、そこのクリニックではしていなかった。あの痛みやつらさに耐え、さらに数万円も払って……と思うと納得がいかず、報告をしてくれた培養士の方に原因を尋ねたものの「私が担当したわけではないので……」の一言。次の予約を淡々と勧められるだけでした。
でも、また同じ採卵の痛みを味わうと思うと治療の予約をするのもためらってしまって。SNSで気持ちを吐き出してみたところ、いろんな人から情報が集まってきて。そこで気づいたのは、私が今まで「これしか方法がない」と信じてきたことは、通っていたクリニックの方針でしかなかったのだということ。クリニックによって設備や治療のやり方は全然違うと知ったんです。保険適応であれ、静脈麻酔で採卵ができるクリニックが多くあると知って驚きました。どうして最初にしっかり調べなかったのだろう……とここでも後悔しましたが、とはいえクリニックから渡された分厚い資料は時間をかけてすべて目を通していたし、しっかり理解したつもりでいたんですよね。
柿沼: 実際に自分が治療を始めると、どうしても目の前にいる医師の言うことがすべてになってしまいますよね。信じて進むしかない、みたいな気持ちになるというか。私もすごく視野が狭くなっていたと思います。
――柿沼さんは体外受精に至るまでにどのような治療に取り組んできたのですか?
柿沼: 私は1年ぐらいかけてタイミング法を6回ほど行ったものの、何の成果も得られないまま人工授精に移りました。人工授精は7回目以降は妊娠率がぐっと下がるという話があり(※1)、6回終えた時点で成果のなかった私は、かなり落ち込みました。そして、7回目の人工授精が終わったとき、医師から突然「体外受精はやる気ないの?」と言われたんです。自分で調べて、そろそろステップアップのタイミングかもしれないと覚悟はしていましたが、クリニックからはそれまで体外受精についての説明は一切なかったので、この方法が私には適しているのだと信じて勧められるがまま時間とお金をかけて必死にやってきたというのに……と、急に突き放されたような気持ちになり、その場で思わず泣いてしまいました。このままこのクリニックで体外受精に進む気にはなれず、転院を決意したんです。
塩谷さんと柿沼さんはそれぞれ異なる排卵誘発の方法で採卵を行いました。高刺激で多くの卵子を採る方法と、低刺激で卵子を少なく採る方法、どちらがいいか悪いかということはありません。体外受精の成功には、排卵誘発方法だけでなく、採卵2日前のLHサージ方法、受精方法、培養方法、胚移植方法など、複数のプロセスが関係します。驚くことに、それぞれのプロセスにおいて、各クリニックが最良と考える方法が多かれ少なかれ異なります。これは、クリニックごとに不妊治療に対する方針が違うためです。
例えば、当院では「最先端の医療で最短の妊娠を」目指しています。このため、先進的な治療を含む豊富なオプションを提供し、妊娠までの時間をできるだけ短縮することに努めています。しかし、このアプローチがときには過剰と感じられる場合もあるかもしれません。一方で、「なるべく薬を使わずに体に優しい方法」を重視するクリニックもあり、たとえ卵巣予備能力が高い女性であっても、排卵誘発剤はほとんど使用せず、LHサージの効果も抑える方法を選ぶこともあります。しかし、この方法では1回の採卵で得られる移植可能な胚が少なく、採卵1回あたりの妊娠率は低下し、不成功の場合には何度も採卵を繰り返す必要があります。
このように、クリニックの方針によって治療の内容や提供できるオプションが異なります。そのため、重要なのは「その周期での自分の卵巣の状態の確認」と、「どのような目的で体外受精を行うか」という2点を医師としっかりと共有することです。多くの卵子を採ることも、少なく採ることも、胚盤胞まで育てることも、初期胚で移植することも、それぞれの目的に応じて正解になり得ます。
――お二人ともつらい経験があって転院することになったのですね。次はどのようなクリニックを選んだのでしょうか?
柿沼:
当時はまだ住んでいる県と市の助成金制度があったので、フルに活用できるクリニックで、自宅から30分から1時間以内で通えるところを片っ端から評判を調べていきました。その中でGoogleの口コミ一つひとつに返信をしているクリニックがあり、「ここなら」と思い行ってみたら、自分にとっては大正解でした。
これまでと大きく違ったのは、治療に入る前に、不妊治療の全体のステップをクリニック作成の解説動画などでわかりやすく見せてくれたこと。これまでは全体がわかっていないので、暗闇をひたすら突き進んでいくような感覚だったのですが、自分が今どの場所にいて、これから何をするのかが明確になったことで、私はすごく安心できました。次にやることがわかっていると自分の意志も伝えやすくなりましたね。また、そのときは何もわからなかった体外受精に関しても、クリニックからどんどん情報を発信してくれたので、恐怖心がなくなっていきました。
塩谷: 私は不妊治療を公開したことでたくさんの口コミが寄せられてきたのですが、その中から信頼できそうなクリニックをいくつか絞って初診に行き、慎重に選びました。今通っているクリニックはまず最初に「第何子までご希望されてますか?」と希望を聞いてくれたんです。少なくとも2人欲しいと思っていることを伝え、「じゃあ攻めの採卵をしましょう」と提案いただいて。これまでの経緯があり、クリニックに対してすごく慎重になっていたので、心配なことは全部聞くようにしていたのですが、それに対してもすごく丁寧に説明をしてくれたので、安心感が違いました。その後、静脈麻酔下で採卵をしてもらったところ、寝ている間に終わっていたのでびっくり。静脈麻酔による気分の悪さはありましたが、局所麻酔下での激痛と比べれば随分とマシでした。そしてふりかけ法(c-IVF)で2つ、顕微授精で4つの胚盤胞を凍結させることができました。柿沼さんはその後無事、そのクリニックで妊娠されたんですよね?
柿沼: そうなんです。ただ、妊娠に至るまでにはいろいろあって。2回目の体外受精で一度妊娠したものの9週で稽留流産になってしまったんです。クリニックをようやく卒業できるというタイミングだったこともあり、かなり落ち込みましたが、一方で、移植2回目で妊娠できたというのはすごい成果だとも感じられました。ここまでの長い道のりを思えば、自分が妊娠できる身体なんだとわかったことも自信になりましたし、体外受精に希望が持てました。その後、体調を整えてからのぞんだ移植が妊娠につながり、出産に至りました。
多くの方が、自身の体の状態に最も「適した」治療法やクリニックを求めています。しかし、「適している」とはどういう状態を指すのでしょうか? 妊娠に至れば、その治療が適していたと言えるのかというと、そうとも言い切れず、別の治療法でも妊娠の可能性はあったかもしれません。この視点からすると、患者さんが言う「自分に合った治療」とは、患者さんが望む治療と提供される治療が一致していることがまずは大切なのではないかと思います。
「どのような体外受精を希望しますか?」と質問しても、多くの方が即答できないかもしれません。しかし、「当院はこんな方針なのでこのような治療を提供します」という説明を受ければ、それに対して「やってみたい」「避けたい」「他にどのような方法があるのか」といった反応が自然と生まれるはずです。
体外受精のプロセスは一通り理解していても、各プロセスにはどのような治療方法があり、その違いが何なのかまでご存知の方は多くないと感じています。多くのクリニックでは、自らの推奨する体外受精の方法について、無料の説明会をしています。ぜひ、各クリニックが提供する説明会や相談会に参加してみてください。そこでは、様々な治療法やクリニックの方針を直接知ることができます。
――柿沼さんも塩谷さんも仕事をしながら不妊治療をされていて、肉体的にも精神的にも本当に大変な状況があったのではないかと感じます。お二人はどのように両立をしていたのでしょうか?
柿沼: 33歳で不妊治療を始めて妊娠に至るまで4年。当初はこんなにも長く時間がかかると思っていなかったので、気持ちや体調の波もある中で仕事を続けていくのは本当に大変でした。その間、毎月妊娠のチャンスを活かせたかというと、やっぱりそうではなく、仕事の都合で1、2ヶ月治療をお休みすることもありましたし、逆に自分の体調を整えるために、仕事を制限しなくてはならないこともありました。だから、常に仕事と治療の狭間で罪悪感を抱えているような状態でしたね。
塩谷: 私の場合はフリーランスということもあって、かなり融通が利く環境にはあるのですが、スケジュールの調整には苦労しました。仕事相手に「この日いけますか?」と聞かれても採卵の時期かもしれないと思うとすぐにイエスとは言えないし、いけるとしても前日にドタキャンする可能性もある。「体調が悪くて」と伝えれば、相手に気もつかわせることになるし……。実際、仕事の機会を失うこともありました。
柿沼: 「今回で最後にしたい」と切実な気持ちで臨んだ人工授精の6回目がうまくいかなかったとき、絶望とともに、決着をつけなくてはという気持ちになったんです。このまま治療も仕事も、とやっていたら、私の場合きっといつまでもズルズルいってしまうような気がして……。それで会社を辞め、業務委託に切り替えて働くことにしたんです。
――それは大きな決断でしたね。
柿沼: その後、流産してしまい、気持ちの回復のためにもさらに仕事量を制限して。そんな中で妊娠、出産に至ったので自分の選択に後悔はないのですが、「なぜ仕事か治療か、どちらかを選ばなきゃいけないのだろう」という悔しさはずっと感じていました。働き方の選択肢や制度がもう少し充実していたら会社を辞めない選択もあったかもしれません。治療費のために仕事量を減らすことができないという声も聞きますし、こうした面での社会的なサポートは考えられる必要があると感じます。
――不妊治療中の当事者同士であっても、それぞれに原因や治療内容が異なり、悩みや状況を語り合うのはなかなか難しい部分もあると思います。そのような中、塩谷さんは不妊治療をする“同志でLINEグループをつくり、悩みなどを共有されていることをnoteで発信されていましたね。
塩谷: 私が不妊治療をしていると話をしたら、周りの友人もそうだとわかり、匿名でできるLINEのオープンチャットをつくったんです。ほとんどの人が不妊治療中であることを微塵にも出さずに暮らしたり仕事をしたりしているように見えていたので驚きましたし、集まってくる情報がとても有益でした。一方、はじめはみんなで情報交換をしながらすごく賑わっていたんですけど、妊娠した人が増えてくると、どうしても妊娠できない側が辛くなってしまう面もある。私自身は、友人の報告に対しては嬉しさもありますし、「不妊治療がしっかり機能していて素晴らしい!」と捉えることでポジティブな気持ちを抱くようにしているのですが、いつも前向きでいられるとは限らないですよね。特に2度目の移植後は市販の検査薬での陽性反応がしっかり出て、身体の変化もあり妊娠を確信していたのですが、その後化学流産。「同時期に不妊治療を始めた子はもうお腹が大きくなっているのに……」と思ってしまうこともあります。こればっかりは、周りと比べても仕方ないんですけどね。
柿沼: その気持ち、よくわかります。私もSNSで友人の妊娠や出産報告を見るのはつらかったので。友人の報告を電車の中で受け取ってあまりのショックに一駅乗り過ごしてしまったこともありました。ただでさえ治療中は薬のせいでホルモンバランスが乱れ、気分の上がり下がりが激しい状態なので、余計にこたえたのかもしれません。
塩谷: どうやってご自身の精神状態を保っていたんですか?
柿沼: SNSに関しては申し訳ないけれどミュートにしていましたね。仲のいい友人に子どもが生まれてからは会うのもつらいときがありましたが、実際に話してみると、SNSでは見えない苦労や悩みがあることもわかり、つらいのは自分だけじゃないと認識も変わりました。今はSNS関係なく、一対一で付き合っていけばいいのだと思えるようになりました。
――どうしても女性に負担がかかることの多い不妊治療ですが、パートナーが支えてくれるようなこともありましたか?
塩谷: 不妊治療のつらさはパートナーとの関係性によっても大きく変わってくるとは思います。幸い、私の夫は当事者意識を持ってくれているのですが、とはいえ出張で海外に行くこともできるし、飲み会で仕事上の関係性を構築することもできる。これは妊婦さんたちにも近しい状況がありますよね。そうした面では、やはり男女で立たされている状況が違うなとは感じます。そしてどうしても不妊治療に対する熱量の差が出てしまうので、私は、「産院の情報を調べてまとめておいて」などと夫にタスクを伝えて、より当事者意識を深く持ってもらえるように促しています。
柿沼: 私は不妊治療中、唯一良かったなと思うことが、夫との関係が以前より深まったことなんです。不妊治療を始めてからはお互いによく話すようになったし、生理がきてしまったときは一緒に美味しいものを食べに行ったりお酒を飲んだりして、治療の辛さや悲しみを共有しお互いを思いやるようにもなりました。「もしこのまま子どもができなくても、きっとこの人とだったら二人で楽しく生活していける」と思えたことも大きな支えになりました。
――柿沼さんは不妊治療中にインタビューを受け、自身の経験をつらさや苦しさも含め、お話されていましたね。そこにはどんな想いがあったのでしょうか?
柿沼: 生理をはじめ女性の健康課題についてもそうですが、オープンにしていくことで、話しあったり、考えたりする土台ができていくと思っています。私自身が不妊治療について話すことが、周りの認識を変えるきっかけの一つになればと思い、インタビューも受けました。
――塩谷さんも、現在、自身の不妊治療についてnoteで発信を続けていて、それはとても勇気のいることだとも思います。
塩谷: 不妊治療当事者の匿名アカウントなどを見ていると、ときどき「世の中には不妊治療を終えて出産した人の情報ばかり」という声があるんですよね。確かに、「今、不妊治療をしています」という人の声は滅多に出てこない。でも発信することで周囲に過剰な心配を抱かせてしまったり、たとえ妊娠しても流産してしまったり……というリスクを考えると、治療中の状態で発信する人が少ないことには頷けます。だからどうしてもうまくいった人の発信が多くなり、情報にも偏りが出てしまうんですよね。そんな状況の中で、あくまでも個人の体験ではあるけれど、今治療中である自分が発信することは、少しは意味のあることじゃないかなと思いました。
柿沼: 同感です。私も不妊治療の情報を集めるなかで、その多くが「子どものできた人」の発信で自分とは違うと感じてしまうことがありました。不妊治療中の人にとっては、産んだ人はもう世界が変わってしまっていて、自分がさらに治療のステータスが進んでいる状況だとその言葉に傷ついてしまうこともあるんですよね。やはり治療中の人の声が聞きたいという思いがありました。
塩谷: ただ同時に、もし自分が妊娠できたとすれば、いつそのことをご報告するのが適切なのかはよくわかりません。安定期に入るまでは控えておくというのが一般的かもしれませんが、体調的に仕事との両立が辛いのは妊娠初期ですし……。さらに、今は私の不妊治療が上手くいかないという点に共感してnoteを読んでくださっている方もいらっしゃる。だから自分が妊娠報告をしたときには誰かを落ち込ませてしまうかもしれない、という懸念もあります。ただ女性から「noteを読んで検査をし、持病が見つかりました」という声が届いたり、男性から「ちっとも知らなかったので、知れて良かったです」という感想が届いたりすることもあります。繊細なテーマではありますが、これからもできる範囲で発信をしていきたいとは思っています。
――最後に、現在不妊治療中の方へメッセージをお願いします。
柿沼: それこそ、今、子どもが生まれた私の発信が、すごく上から話しているように伝わってしまうのではないか、という懸念はあるのでメッセージとして伝えるのは難しいなとも思うんですけど……。積極的に情報をとりにいくこと、そして“治療の全体像を見る”ことはすごく大事だと感じています。
塩谷: 不妊治療ってどうしてもつらいのかな、痛いのかな……と躊躇してしまう人が多いかもしれません。ただ、自らの身体を持って命ができるプロセスをじっくり知ることができているというのは、実はすごいことだとも思うんです。私の母も祖母も、生き物の遺伝子は代々自然妊娠で受け渡されてきたのに、私は先端医療の力を借りて子どもをつくろうとしている。不妊治療の歴史は45年もありますが、人類の長い歴史の中ではごく最近のこと。人の努力によって可能性が拓けた、そんな時代を生きているんだなという実感があります。それを面白いと捉えられるかどうかはそれぞれかもしれませんが、そんなふうに視点を変えてみると、また不妊治療の見え方も変わってくるような気がします。
柿沼さんと塩谷さんのお話から、不妊治療における情報収集の重要性と、それを理解し整理する過程の複雑さを改めて実感しました。身体や治療の状況、クリニックから共有される内容もそれぞれであることから、実際にお二人が持っている情報も理解の仕方も異なっていました。正しい情報が必要な人に行き渡っていないということです。そして、お二人ともクリニック選びの大切さをこんなにも実感していらっしゃることに驚きました。
情報収集の初期段階では、「広く浅く」アプローチを取り、治療や検査の全体像を客観的に捉えることをお薦めしたいです。妊活雑誌など、患者さん用にわかりやすくコンパクトに整理された一覧表の情報などが良さそうです。
また、私たち医療機関は、提供する不妊治療について、どんな目的で実施し、どのような作用があるのかについて、もっとわかるように説明する必要性を痛感しました。この貴重な対談を今後の当院の情報発信に生かしていきたいと思います。